九州の大麦とクラフトの技が生み出す、世界に誇る焼酎。天盃5代目、多田匠さんが描く未来

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2026年4月30日 公開
九州の大麦とクラフトの技が生み出す、世界に誇る焼酎。天盃5代目、多田匠さんが描く未来

福岡県朝倉郡筑前町で、明治31年から焼酎作りを続けてきた天盃。半世紀以上にわたって麦焼酎一筋でものづくりを極めてきたこの蔵は、多田家が代々守り続けてきた家族経営の蔵元です。 5代目となる多田匠(ただ たくみ)さんは、東京での会社員生活を経て、2021年にコロナ禍をきっかけに家業に戻ってきました。

現在は専務取締役として、父である現杜氏の4代目とタッグを組みながら、伝統的な本格むぎ焼酎「天盃」に加え、クラフトマン多田DISTILLERY COLLECTIONといった新しいブランドを展開。さらには、デザイン専門学校の学生たちや他のものづくりの生産者たちとコラボレーションを重ねるなど、焼酎の新たな可能性を切り拓いています。 「伝統は守るものではなく、革新から作り続けるもの」。そう語る多田さんの挑戦は、次の世代へ焼酎文化を繋ぐための、止まることのないものづくりの旅です。

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東京からの帰郷、コロナ禍が早めた決断

朝倉郡筑前町で生まれ育った多田さんは、大学進学を機に上京しました。 家業に戻るつもりだった多田さんは、醸造学科ではなく、社会を違う視点から学びたいと考え、社会学・社会福祉学を専攻。

「長男として生まれたので、そのうち家業を継ぐのだろうとうっすらと感じていました。それまでは好きなことをして、父が還暦のタイミングに私が30歳になるので、その時に戻ろうと考えました」

大学卒業後は、東京のデジタルマーケティングを手掛ける広告会社に入社しました。広告運用やユーザーのターゲット設計、マーケティングのプランニングなど、様々な部署で経験を積んでいった多田さんでしたが、新型コロナウィルスの発生により、状況が一変します。

「コロナ禍で思ったよりも世の中の変化するスピードがすごく早くて、従来のお酒の流通やあり方が大きく変わっていくことを強く感じました」

市場が様変わりしていく様子を目の当たりにした多田さんは、自分が蔵に戻ってからやろうと思っていたことを「今やらないと、向こう何年も実現できる未来があるか断言できない」と感じ、家業に戻ることを決断しました。

「30歳で戻ったら、これをやってみたいという野望はありましたが、コロナ禍により世の中や会社に大きな影響を与えていたので、予定を早めて入社しました」

128年の歴史と、世界に誇る蒸溜酒への挑戦

株式会社天盃の創業は明治31年。会社が所在する朝倉郡筑前町で初代が創業し、それから128年間1日も休むことなくも休むことなく、多田家で代々麦焼酎を造り続けてきました。 創業当初は地元の人々向けに販売していたものの、流通網の発達とともに、祖父の時代には東京へと販路を開拓。そして4代目である多田さんの父、そして5代目の多田匠さんへと、この場所で焼酎作りの技術と思いが受け継がれてきました。

「福岡県と佐賀県は非常に大麦が取れる産地で、「筑紫平野」とも呼ばれています。この2県を合わせて、日本の半分程度の大麦の生産を賄っているのです」

「地元で取れる最高の原料を使って焼酎造りをしたい」その思いを元に、「天盃」というブランドが誕生。焼酎の魅力をさらに引き立たせるのに重要な理念が、もうひとつ会社にはありました。

「祖父の時代は日本酒がハレの日の飲み物で、法律が緩かったことから、蒸溜酒であれば、「単式蒸留焼酎」と呼べたので、粗悪なお酒も多かったです」

多田さんの祖父は「スコッチウィスキーやコニャックブランデーのように、焼酎を安酒のイメージから価値のある蒸溜酒にしていきたい」と考え、「世界に誇れる蒸溜酒づくり」という理念が、天盃のものづくりの原点となりました。 本来焼酎製造には米麹が欠かせないところを、天盃では麦の味わいを極限まで引き出すために、日本で初めて麦麹を使用した「大麦100%」の麦焼酎を製造。 そして、敷地内で湧き出る地下水を仕込み水に使ったり、精麦に特徴をつけて磨く。通常は1度しか行わない蒸留をもう一度行うことで、味わいと香りを磨き上げるという、独自の製法を確立し、社名である「天盃」の名を冠した「天盃 25度」、「天盃 40度」が人気の商品です。

「度数が高いと熟成期間が長くなり、それだけ甘みや旨味もしっかり強く感じられる。繊細な優しい甘さとコク、「これが大麦の味わいだよね」を感じていただけるのが、我々の麦焼酎の一番の魅力だと思っています」

父との二人三脚、そしてクラフトマン多田の誕生

「天盃というブランドは、私たちの全ての原点、こだわりと理念なので、変わることはありませんが、時代に合わせたアップデートが常に必要だと感じています」

多田さんは日本のお酒の消費量は下がっているという現実に直面しました。もっとお客様に届ける幅や可能性、選択肢を増やせないだろうかと考えた末にたどり着いたのは、ワインや日本酒のように、料理と合わせて焼酎を飲むという新たな楽しみ方でした。

「ワインのようにペアリングして楽しめる焼酎が今までになかったので、父と一緒に「クラフトマン多田」という新しいブランドが生まれました」

多田さんは原酒をテイスティングしながら、どういう方向性へ向かうべきか父と議論を重ねました。多田さんの協力を得ながら、焼酎の新たな可能性を模索していったのです。 クラフトマン多田は、スパニッシュオレンジキャンティブラウンという2つの定番商品を柱に、セレクトショップのような特約店制度を展開。同じ思いを持った販売店と取引を重ねた末、日本全国に100店舗以上のパートナーを持つまでに成長しました。さらに、世界14カ国への輸出も行っています。

「スパニッシュオレンジの方が手に取るお客様は多いですが、個人的にはキャンティブラウンがおすすめで、お湯割りにして飲むのが美味しいと感じています」

スパニッシュオレンジは、柑橘類を思わせる軽やかで爽やかな香りが特徴。甘い香りとなめらかな味わいで、軽い味わいの料理や、塩や酸味の効いた料理との相性が抜群です。 一方、キャンティブラウンは、深みのある麦の香りと、食事に合う軽快でキレのある辛口の味わいが特徴的。温めることで、奥行きのある深い旨みを楽しめます。

「父とは仲良く、喧嘩しません。もちろん意見が違ってディスカッションは日々やっていますが、感情的にはならず、論点を整理して、最終的に話し合った上でお互い納得して決めています」

多田さんと父は互いにリスペクトを持ち、目指す目的が同じであることが理由だと話します。「山の目的地は同じだが、登り方が異なるだけ」と親子でありながら、親子という関係を超えて、一人のものづくりの仲間として、お互いを尊重し合っているのです。

多田さんの新たな挑戦と、コロナ禍の苦悩

「クラフトマン多田」の成功に続き、新しいスピリッツの開発にも取り組んできました。焼酎をベースにコーヒーや黒胡椒(ブラックペッパー)を使った、コーヒースペシャリテペッパースペシャリテです。

「一流の思いを持ち、ものづくりをされている生産者さんの材料を使ったお酒を作りました。今まで多分焼酎だと手に取らなかったお客様が、コーヒーというきっかけで興味を持っていただく。商品を通して、確実にその裾野は広がっていっていると強く感じています」

「スペシャリテ」シリーズに加えて、新しく開発されたDISTILLERY COLLECTIONは、多田さんが一から立ち上げた、まったく新しいコンセプトのブランドです。 天盃やクラフトマン多田が食中酒やペアリングに特化していたのに対し、DISTILLERY COLLECTIONは度数の高いスピリッツとして、焼酎の新たな可能性を探求しています。

「これまでの主力商品のものとは、良い意味でだいぶ系統が違うものになります。高いアルコール度数だからこそ楽しめる飲み方、楽しみ方、味わい、そういう表情もあるので、より蒸溜酒の可能性と価値をぐっと尖らせた商品になります」

すべての人に好まれる商品を目指すのではなく、お酒の価値を本当に理解してくださる方々に、深く魅力が伝わる商品にしていきたいと多田さんは話してくれました。すでに台湾、フランス、アメリカなど海外にも輸出を始めており、世界中の人たちに蒸溜酒の新しい可能性を届けたいと考えています。 新ブランドの立ち上げ、父との商品開発、そして海外への挑戦など、様々な取り組みを進める多田さんですが、蔵に戻ってきた2021年は、コロナ禍の真っ只中でした。

「コロナ禍に家業に戻った時は本当に大変でした。どんどん市場が様変わりする中で、売り上げを立てて、社員さんに給料を支払い、会社を残していく必要があると感じました」

また、大手との価格競争という現実とも向き合わなければなりませんでした。

「大量生産は難しいので、商品の金額はどうしても安くはなりません。ただそれを価格以上の価値をお客様に感じていただけるような、私たちの焼酎作りの世界をもっと深掘っていくことが大事だと思っています」

小規模な家族経営の中で、人材やリソースに限りがあると感じながらも、多田さんはこの弱みを「強みとのコインの表と裏」だと捉えています。弱みを嘆くのではなく「少数精鋭だからこそできる」ものづくりの極致を輝かせる強みに注力していると話します。

次の世代へ、革新から伝統を作り続ける

多田さんが蔵に戻ってきて強く感じたこと、それは「焼酎の文化を次の世代にどう残していくか」という課題でした。

「飲酒人口が減って、将来的には私達の焼酎がなくなるのだろうと感じています」

若い世代に焼酎の文化を伝えていく必要があると感じる多田さんは、福岡市内のデザイン専門学校の学生たちと共同で、「20代に飲んでほしい新しい焼酎」というテーマで商品開発を進めています。

「商品をゼロから作るという企画の部分からラベルのデザインまで、授業の中でコンペを持たせてもらっていて、実際にクラウドファンディングでの発売に向けて準備しています」

その他にも、同じお酒造りに携わる他社とも手を取る活動も行っています。

「自分たちで一つのものづくりをずっと極めて突き詰める姿勢は今も変わりません。しかし、私たちと同じ思いを持った方々に、私たちの焼酎を知って、手に取ってもらう。そうすることで、焼酎や私たちの文化を残していけると考えているので、これからもそのような活動を続けていきたいです」

こうした取り組みの根底には、ブランド名でもある「クラフトマン」の定義があると多田さんは考えます。

「クラフトマンの定義は二つあると思います。1つ目は「商品を作った人の顔が見えるか」、2つ目は「思い、哲学や理念が通っているか」。会社規模に関わらず、どのような人が思いや価値観、目標を持って作っているのか。これらがちゃんと伝わる商品やブランドが、焼酎の価値を高めていくと考えています」

「伝統」とは、100年前と全く同じものを守ることも一つの価値観ですが、多田さんが目指す伝統は異なり、「革新し続けること」だと話します。

「伝統は昔のものを変えずに守るものではなくて、新しく作ったものの積み重ねだと思っています。焼酎をもっとアップデートさせて価値を高める。そうする事でお客様に笑顔になっていただき、「本当に美味しいね」と言っていただける時間や世界を作り続ける事だと考えています。」

この言葉の背景には、コロナ禍を経験した多田さんの並々ならぬ思いがあります。

「お酒は嗜好品のため、必需品とは異なり真っ先に財布の紐を締めてしまうものです。どんなに私たちの思いや理念を伝えたって、売り上げにならないと会社は残りません。「革新し続ける」基盤があるからこそ、さらに良いものづくりができると考えています。」

理想だけでは事業は続けられない。多田さんは、父と二人三脚で健全な経営を行い、適切な評価を得て、その原資で新たなものづくりへの挑戦を続けるという、現実的なサイクルを回しています。

「この事業をしていて良かったなと思う瞬間が多いのはやはり、作った焼酎でお客様が笑顔になっていただいた時です」

最近では、イベント等で初めて会う方々からも「クラフトマン多田知ってるよ」「いつも行く飲食店に置いてあって飲んでる」という声を聞くことが増えてきました。

「私たちのブランドを知ってるよというお客様がすごく増えたなと強く感じます。また、自分たちと同じ世代の人たちが飲んで楽しんで、結果的にファンになってくださったのが、本当に嬉しいです」

128年続いてきた株式会社天盃のものづくり。その歴史は、革新を続けてきた挑戦の歴史でもありました。5代目の多田匠さんの挑戦は、まだ始まったばかりです。

株式会社天盃

  • 所在地福岡県朝倉郡筑前町森山978番地
  • 設立1898年
  • 専務取締役多田 匠
  • 電話番号0946-22-1717
  • ウェブサイトtenpai.co.jp

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